神道の惟神

神道とは八百万(やおよろず)の神様を信仰し、古事記や日本書紀・先代旧事本紀といった古典を神典とする日本に古来から伝わる民俗宗教です。その起源は西暦紀元前200年ごろと言われており、縄文時代の遺跡などから発見された歴史的遺物の多くにはこの考え方を持たせたものが確認されています。

そのため日本という国の成り立ちと住まわれている神々の降臨伝説が発生したと考えられており、その後仏教や道教・儒教などの影響を受けて独自の展開をしてきたため、ひとつの神様だけを信じる信仰とは異なっていることが大きな特徴です。神道は神社を中心とした国家神道以外にも教派系や民族系などさまざまな分類がありますが、何れも共通している精神が「惟神(かんながら)」と呼ばれるもので、「神の道にしたがうこと」と「自然と神の道があること」を前提として、人は自然の一員として生まれて自然とともに生きることが大切で「目の前の現実を直視して誠実に自然のままに生き、その結果を素直に受け入れる」ことを意味しています。自然に対して逆らうことができないことを神の意志と考えて、その意志に即して生きることが「惟神」の道で、教祖は存在せず自分の先祖を敬いながら先祖に感謝して知恵を感得することを実践する教えを指します。神社における神主の祝詞でよく使用される「祓い給い清め給え、神ながら守り給い幸え給え」というものがありますが、この「祓い給い、清め給え」の古い言い方が「惟神霊幸倍坐世(かんながら・たまちはえませ)」で、「すべては神様の御心に従いますので、どうぞ良いお導きを与えてください」という意味になります。他の宗教では「正典」と呼ばれる教祖の教えが書かれた書物が存在し、その書いてある通りに生きていれば生きる上での悩みや辛いことから解放されて天国や極楽浄土に行けるとされていますが、神道ではそれを「自分で探して自分で感じる」こととしていることが特徴で、その集大成が「惟神」という考え方になります。とは言うものの、神社にはご神体として「鏡」が祀られています。自然を重んじるのに何故と思いますが、「かがみ」から「が」を取ると「かみ(神)」になり、この「が」は自分のこと、すなわち「我」を指すもので、人が持つ欲や妬みなどの我の部分を取り除き、自然と一体化した時に、人も神に近づくことができるという意味になります。神主がするお祓いするときに振る大麻(おおぬさ)は、この心の汚れである「我」を取り除くための神具として使用されています。