戦後の神道の信仰と実践

神道の歴史は日本人の歴史であるため、その歴史は非常に古いです。そもそも、神道は宗教的な側面から信仰の対象となっていたわけではなく、生活とともにそこにあるものとして認識されていたものです。そして、戦後にこういったことを実践できるようになったのは最近になってからです。

これは、他の宗教との比較を見ても明らかです。例えば、キリスト教や仏教、あるいはイスラム教は開祖が存在しており、特定の人間が広めたまさしく宗教的な価値観の存在するものです。一方で、神道にはこの開祖が存在しません。いつのまにか存在していたものであり、自然信仰を主としていた日本人の文化と歴史から自然発生的に信仰されていったものが最初です。

ここでは、わかりやすい神道と仏教の教えの違いをご紹介します。神道では、一部の共同体を守ることを主として信仰されてきたと考えられています。その中でも、自然の中に存在している神秘的なものに対して信仰することを目的としていますので、その規模は実は小さなところから始まっています。反対に、仏教は幅広く多くの人達の魂の救済などを目的としている背景があります。そこから様々な派閥が生まれてきて、この世界で善となるべき行為を行ったものが、素晴らしいあの世に行くことができるといった教えも浸透していきました。ですから、日本国内でも歴史を重ねていくうちに幅広く救済が行われる仏教が浸透していったという事情もあります。実際に、奈良時代以降の長期間で仏教信仰と神道は1つの宗教体系としてみなされました。つまり、日本国内では最初から神道には小さな部族や集落での考え方の違いがあり、それが様々な文化などと混ざり合って現在の形に形成してきたのです。

ところが、こういった流れが変わったのが戦後のGHQの政教分離政策です。GHQは、神道による天皇崇拝が日本人の精神的なよりどころと考えました。上述のように、本来は神道には確固たる理念や固まった宗派は存在しないのですが、GHQがこういうものであるという判定をした結果、戦後の宗教的な考え方が変わってしまったという事情があります。実際に、現在でも日本に存在する神社の多くでは日本古来から存在している宗教的な考え方と、GHQが断定した国家神道の宗教的な考え方は全く違うことを認めています。ですから、古来から日本人が信仰している神道を実践することに力を入れています。様々な文化を受け入れて、そこから派生する新しい考え方を許容する魅力的な信仰です。