神仏習合 について考える

神仏習合は、名称にもあるように日本において存在していた神道とインドから中国や朝鮮半島を介して伝えられた仏教の各々が影響をもたらして融合し、誕生した事を指します1000年を超える長い歴史を歩んできているが故に多種多様な考え方が絡み合っているのが特徴なので、中には融合しているうちの1つである神道における大きな岩や大きな木、海などあらゆる所に神様が存在しているという考え方も含まれています。

もちろん、神道の考え方が含まれているように仏教の考え方も含まれているのですが、神仏習合にて特徴的なのはインドで誕生した状態で伝えられているのではなく、中国や朝鮮半島を介して伝えられた考えである様子です。こうした2つの宗教現象が取り入れられている神仏習合は現代においても人々の身近な所に存在しているのですが、特に馴染み深い物事としてご紹介可能なのが神社やお寺です。初詣やお参をする時に神社やお寺に訪れる方が多いですが、神社の中には境内内お寺が存在している事例がありますし、お寺であるものの神社で目にできる鳥居が存在している事例もあります。

今日においても身近にある神仏習合ですがその歴史は古く526年まで遡る事になり、特に九州地方の北部では日本の中でも取り分けて古くから2つの宗教が融合して扱われていました。日本には既に神道という考えが存在していたのにも関わらず、インドが起源である上に中国や朝鮮半島を介して伝えられた仏教と融合した所以は、後から伝えられた仏教が異なる宗教の考え方や神様と相性が良い柔軟性を有していたためです。しかも、民衆が考えている気持ちとも合致したため人々の間でも自然に受け入れられるようになり、短期間のうちに広い範囲にわたり受け入れられ信仰されるようになります。

次々と広がっていった奈良時代では、2つの宗教の考えに則ったお寺が建てられるなどの変化が見られるようになったのですが、同じ時期に顕著に見られるようになったのは人々が神様に対して抱く考えです。

それは神神離脱説と呼ばれるものであり、仏教においては神様というのは人間に比べて幸せかつ楽しい世界で過ごしているものの、寿命が存在していたり神様ならではの悩み事があるというものです。そのような考え方が人々の間で広まった時、神道の神様も同様に寿命や悩み事があると捉えられるようになったので、日本にて当初から存在していた神様も救われるべきであると考えられ、神宮寺が建てられる事になります。