黒住教は、岡山県岡山市に教団本部を置く教派神道です。同時期の江戸時代末期に開かれた天理教、金光教と合わせて「幕末三大新宗教」と呼ばれることもあります。

教派神道とは

教派神道とは、神道系新宗教教団のことです。具体的には幕末期に起こり、明治時代に教派として明治政府に公認された14の神道系教団を指します(後に神宮教が離脱したため13となりました)。

黒住教概要

黒住教は、信者数29万人以上(文化庁「宗教年鑑平成30年版」)という教派神道の中でも、出雲大社教、天理教、金光教に次ぐ規模の大きな宗教団体です。祭神は「天照大神」、「八百萬神」、「教祖宗忠神」の3柱とし、当代教主は黒住宗道となっています。本部は岡山市街地を見渡せる、岡山県北区尾上神道山の、その山上にあります。

神道山について

日本は宗教の自由と呼ばれるものがあるため、様々な宗教がありそれには宗派があるわけです。その中で、江戸時代後期からある宗教の1つとして黒住教と呼ばれるものがあります。厳密に言えば、これは宗教と言えないかもしれません。何故かと言えば、仏教などとは異なり宗教の定義に当てはまらないからです。通常宗教は、教祖様がいてしかるべきですが、この黒住教の原型である神道には教祖と呼ばれる人はいません。それ故宗教に当てはまらないのではと言う考え方もありますが、ただ黒住教は一応は教祖は存在しており、現在の日本神道とは少し形を異なるわけです。もともとそこから出ていると言うだけで、基本の部分が同じですがそこから200年近く経っているため、形が変わっても致し方ないといえます。

神道山について

ちなみに、江戸時代の夜にそのような宗教はいくつかできており、例えば天理教や金光教などがこれに該当します。なぜこのような時代にたくさんの宗教が発生したかと言えば、その背景には時代の変遷があると言っても良いかもしれません。江戸時代の終わり頃は、ずいぶんと国が荒れていた時代です。特に、明治時代が始まる前の江戸時代の終わり頃は、黒船が来航しその後に明治維新が起こるまで様々な戦いがありました。その段階になると、今まで江戸幕府が仕切っていた日本が徐々に変わっていき、そうすると秩序が崩壊するわけです。秩序の崩壊すると、今まで信じられていたことが信じられなくなり、人々は拠り所をなくしてしまいます。そこでその拠り所をなくした人々を救うために、宗教ができたと言われている流れです。

本部があるのは、岡山県岡山市でもともとこの地域に根付いた教えの1つになります。江戸時代の終わりごろに開かれていますが、現在は7代目の教主がいます。本部神殿や大教殿は非常に大きく、ちょうど市街地にありますが、建物自体はやはり神社と同じような形になっています。日拝所などがあるのも特徴かもしれません。宗教法人として現在は成立していますが、特に勧誘等はあまりされていないと言うわけです。考え方としては、中心をなす者は太陽として考えられており、アマテラス大神などが出てくることを考えると、やはり昔の日本新党の部分を引き継いでいると言えるでしょう。俺は笑うことにより、日本神道の本質がわかるかもしれません。

黒住教本庁は、岡山県にあるものの、神道山境内には黒住教学院や黒住教日新社なども付随しており、多くの宗教的な施設と言えるでしょう。