神道の自然に対する考え方とは?

世界には様々な種類の宗教があります。日本における代表的なものに仏教やキリスト教、神道があり、多くの場合仏教を崇拝することが多いです。

神道は仏教に比べると歴史が無いように感じますが、実際のところ日本の土着の宗教であり、古代から現代に続いているものとなります。ですが実際に神道をいう言葉を使われたのは西暦538年、日本に仏教が入ってきてからであり、区別をするために神の道という意味を込めて名付けられました。考え方としては自然崇拝であり、動物や植物はもちろんのこと、生命が宿っていない岩や滝などといったものにも神が宿っているとしています。地域によって様々な神が存在しているのも特徴であり、縄文時代の遺跡からは神としてあがめていたとされるものが遺物として出土されています。

また神道とは開祖や教祖がおらず自然への崇拝がもととなります。そのため日本では八百万の神と言われており、生活に浸透し自然を神の道としてきました。ですが仏教徒の違いとして死を忌み嫌うので、神の社である神社に墓地はありません。さらに神だながある場合で死者が出た場合は神だなに半紙をつる下げて封じ、喪が明けるまでは神社の境内に入ることはありません。さらに地域で行われているお祭りにも参加しないことが多いです。

このようなことは人間にとって本質的な部分であり、亡くなった人に対しての哀惜や嫌悪を表しています。悲しみの中に死にたいしての恐怖、嫌悪も共存しており亡くなった後は黄泉の国や根の国などの場所に行くと説いているのが特徴です。

神道の教えは日常生活と密接になり、自然に対しては無力でありありのままを受け入れるという点にあります。そのため神社には氏子と言われる人がいますが、この氏子は信者ではなく、さらに戒名料なども存在しませんし亡くなった後の階級もありません。仏教と異なった考え方であるのに、日本においては仏教も神道も同じようになじんでいますが、これは八百万の神々を崇拝しているので包容性があり、異文化が入ってきてもそれを変容することができるからです。代表的なものには歳神様を迎えるために門松をたてる、季節の変わり目を表す春の節分には豆まきが行われる、神楽を行う、箸を使うなどのことがあげられます。箸に関しては奈良時代に使われ始め、古事記には神代から使用していたと記録されています。そのため伊勢では参拝に来た人に神宮のご神木で作った箸をさしあげていました。