神道の浄化:手を洗う

神道は日本に古来からある宗教です。仏教やキリスト教のように開祖が説いた特別な教えや経典があるわけでもないのに動物や植物、命のない岩や道具に至るまで、この世に存在する全てのものにスピリチュアリティを感じるアニミズム的な宗教です。神道では自然とはつまり神であり、神と人間は祭祀を介して結ばれるのです。感謝や祈り、慰霊や鎮魂は祭祀を通じておこなわれ、それをおこなう聖なる場所が神社なのです。

神が祀られている聖地でもある神社を参拝するときは作法があります。鳥居の前で一礼し、参道は真ん中を避けて歩き、手水舎では手と口を清めてから神殿に向かい、参拝は二礼二拍手一礼を基本とします。参道の真ん中を避けて歩くのは真ん中が神様の通り道だからで、手と口を清めるのは穢れを落とすためだとされています。ここでいう穢れとは具体的な手の汚れという意味ではなく人の誕生や死、流血や出血に関わることで、キリスト教的な悪とも意味が異なります。理想ではない状態、放置すると災いを招く可能性のあるものや状態のことをさし、神は穢れに触れると神力を失うとされています。

穢れが気枯れといわれるのもそのためで、手水舎で手や口を洗うのはそういった好ましくないもの、つまり穢れを祓う浄化法の一つだといえます。禊ぎは御祓であり、不浄を祓い清浄を尊ぶ思想は清流や滝に神が宿ると考えたり、嫌なことや悪いことは水に流してしまおうとする日本人が、神道というアニミズム的な宗教に抱く唯一の戒律といえます。浄化法には手を洗うことの他に塩や酒をもちいる方法があります。塩は海水に通じ、古くは黄泉の国から戻った神が汚れを祓うために海水で御祓をしたと記されています。また酒は神前に供えることで神の力が宿る御神酒に変わり、家の周囲に巻くことでお清めになりますし、飲めば体内を浄化できると考えられています。

ヒノキなどを擦りもんでおこした火を忌火といい、不浄を清めた火として神様へのお供え物を調理するときに使用します。このようにいろいろなものが神道では神聖化されていますが、現代の知識に照らし合わせればその多くが除菌や殺菌効果のあるものだということがわかります。また血や死を穢れとして避けたのも、それらを長く放置すれば感染症の原因になることから、客観的なデータに基づかなくても経験値としてそれを認識していたと考えられ、穢れを一時的に集団から隔離することで事態がより悪化するのを防いだのかもしれません。