なぜ日本の神道と仏教は仲良しだったのか

多くの人にとって、初詣に行くのが神社でお葬式を行うのがお寺というのが、神道と仏教の違いではないでしょうか。今の日本人のライフスタイルにおいて特定の宗教を持って、熱心に信奉している人は少ないです。学生時代に歴史の授業でキリシタン弾圧を習ったことがありますが、同じく海外からの来た仏教は弾圧されることなく、日本に根付いてしまいました。日本の古くからあるのは神道ですが、それは八百万の神であり、自然界にあるものがなんでも神様になってしまいます。

例えば、石や木、山、なんでも神になるのでいくらでも増えてしまうのです。対する仏教には神はなく、仏であり善行を行うことで輪廻から抜け出すというものです。ですから、その教えからして全く異なる宗教観を持っています。違う二つの宗教がなぜ仲良しだったのか不思議に思うかもしれませんが、歴史を見て見ますと明治時代までこの二つの宗教は神仏習合として一つの宗教のように仲良く、併存してきたのです。

しかし、明治になり神道と仏教が法律的に分けられるようになりました。今では数少ないですが、滋賀県にお寺と神社が併存した建物が残っています。このように長い歴史の中で共存してきた関係で、分かれた後も自然と棲み分けがなされて、仲が良い状態が保たれていると言えます。実はこのような事例は歴史上たくさんあるのです。

例えば、初期のキリスト教とカトリックは大きく異なりますが、古代ローマがキリスト教を人々を支配する材料に使うために、現地の異教と混合するという方法をとったからです。そのため、多くの習慣や教えが聖書と違うのは異教の影響があるのは間違いありません。大航海時代に宣教師が海外に出たときも、現地の神様と同化していきました。そのようにして、地元の人に受け入れられるようになったことがわかります。

では、日本でなぜそのような同化が起きなかったのかというと、西洋文化とともに武器も大量に持ち込まれるようになりました。鉄砲には弾薬が必要ですが、それらを入手するには海外との貿易が必要だったのです。しかも、それとセットになっていたのがキリスト教なので、当時の幕府が他の大名に武器が渡らないようにするために規制をかけたのも理解できます。このように仏教と神道が併存してきたことはそれほど驚くことではありませんし、世界中によくある事例の一つだと言えます。もし明治時代に変更がなかったら、今でも一つだったかもしれません。